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箱根駅伝:伝統と感動の大学駅伝、青山学院大が3連覇達成
第102回箱根駅伝、青学大が大会新記録で3連覇
2026年1月2日・3日、東京・大手町から神奈川・箱根町芦ノ湖を往復する第102回東京箱根間往復大学駅伝競走が開催されました。往路・復路の2日間にわたる激戦の結果、青山学院大学が10時間37分34秒の大会新記録で3年連続9度目の総合優勝を果たしました。
黒田朝日の衝撃の走りで往路優勝
往路では、青山学院大学が5区で劇的な逆転劇を演じました。最終5区で登板した4年生エース・黒田朝日選手が、区間記録を約2分も更新する驚異的な快走を見せ、5時間18分8秒で3年連続8度目の往路優勝を決めました。この走りにより、黒田選手は大会MVP(金栗四三杯)と区間賞を受賞。青学大の「輝け大作戦」は見事に成功を収めました。読売新聞
総合成績トップ5
- 青山学院大学 – 10時間37分34秒(大会新記録)
- 國學院大學 – 10時間40分07秒
- 順天堂大学 – 10時間43分55秒
- 早稲田大学 – 10時間44分29秒
- 中央大学 – 10時間45分台
箱根駅伝の歴史:100年を超える伝統
誕生の背景
箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9年)にさかのぼります。創設の原動力となったのは、「マラソンの父」として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」という強い思いでした。
金栗四三は1912年のストックホルムオリンピック男子マラソン代表として出場した日本陸上界の先駆者で、オリンピックで通用する選手を育成することを目的に箱根駅伝を発案しました。当初は早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校(現筑波大学)の4校が参加して始まりました。箱根駅伝公式サイト
発展と変遷
戦時中の1942年、1944年、1945年、そして戦後の1946年は開催されませんでしたが、戦後復興とともに大会も再開。関東地方では従前から人気がありましたが、特に近年は全国的な注目を集める国民的スポーツイベントへと成長しました。
毎年1月2日・3日の2日間に分けて実施され、東京・大手町の読売新聞社前から箱根・芦ノ湖までの往路107.5km、復路109.6kmの合計217.1kmを、各大学10人のランナーが襷(たすき)をつないで走破します。
箱根駅伝の魅力と感動
襷に込められた思い
箱根駅伝最大の魅力は、選手たちが襷に込める思いと、チーム全体で目標に向かって進む団結力です。今年の青学大は、昨年2月に悪性リンパ腫で亡くなった同期の皆渡星七さんへの追悼の意を込めて、襷や出走選手の体に「7」の文字を刻み、チーム一丸となって戦いました。
原晋監督の「輝け大作戦」
青学大の原晋監督は、レース後の胴上げで9度宙を舞い、「素直にうれしい。輝け大作戦は300%輝きました」とコメント。3年連続の総合優勝という偉業を達成し、青学大駅伝チームの強さを改めて証明しました。読売新聞
箱根駅伝が日本に与える影響
箱根駅伝は単なるスポーツイベントではありません。正月の風物詩として日本中の人々に感動と希望を届け、若き学生ランナーたちの情熱と努力が多くの人々の心を動かしています。
沿道には毎年数十万人の観衆が詰めかけ、テレビ中継は高視聴率を記録。大学スポーツの枠を超えて、日本のスポーツ文化を象徴する存在となっています。
まとめ
第102回箱根駅伝は、青山学院大学の圧倒的な強さと、各大学選手たちの熱い走りが印象的な大会となりました。100年以上の歴史を持つこの伝統的な駅伝は、今後も多くの感動と記憶に残るドラマを生み出し続けることでしょう。
次回の第103回大会も、さらなる記録更新と感動のドラマが期待されます。
参考リンク:
読んでいただいてありがとうございました
それでは引き続き頑張っていきましょう。
ではまた
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